国分寺〜小平(こくぶんじ から こだいら)
国分寺はその名のとおり、聖武天皇によって武蔵国の国分寺が設置されたことが地名の由来だ(武蔵国分寺跡は、国分寺駅よりも西国分寺駅に近い)。今でこそベッドタウンだが、東京都心部よりも発展の歴史は古いだろう。国分寺駅周辺には、いわゆる中央線文化の匂いも漂い、中山ラビのほんやら洞をはじめとする喫茶店、古着屋、古本屋も並んでいる。ゆらゆら帝国の楽曲「3×3×3」には「東京都国分寺市在住S本さん家の長男けずる君」という一節がある。多摩美術大学在学中にゆらゆら帝国を結成した坂本慎太郎は、事実国分寺で暮らしていた。珍屋や超山田堂などのレコード屋では坂本の描いたキャラクターが看板に掲げられ、街には氏の気配が残る。
駅は国分寺崖線のすぐ上にあり、南口から少し歩けば下り坂となる。北口は再開発され、近年だいぶ様子が変わった。きれいに整備されたが、ラーメン屋の異様な多さからもここが学生の街だと分かる。
武蔵野美術大学へ向かうには、たいていの場合、国分寺駅で西武国分寺線に乗り換えるか、バスで大学まで向かう。国分寺駅ははいわば武蔵美の玄関口だ。バスは津田塾大学、創価学園、白梅学園、朝鮮大学校を通り、終点の武蔵美へ向かう。電車の場合は鷹の台駅で降り15分ほど歩くが、玉川上水沿いの道は木々に囲まれ鬱蒼としていて、昼でも薄暗い。
武蔵美の手前に朝鮮大学校がある。教育学部には美術科もあるが、デザインに関する授業は行われていないもよう。美術科が設置されたのは1964年のこと。そのため、在日朝鮮人による美術活動をまとめた『在日朝鮮人美術史1945-1962』(白凛 著/明石書店)でも、朝鮮大学の美術教育については触れられていない。一方、隣の武蔵美へ通う学生はたびたび登場する。
国分寺から話を始めたが、武蔵野美術大学の所在地は小平市だ。小平は都外出身者にとって、馴染みのない街かもしれない。ここが武蔵野市だと誤解するものも多く、かつて学園祭のライブに出演した向井秀徳が「MUSASHINO CITY!」とシャウトしていたこともご愛嬌だ。
小平という地名の示す通り、一帯は平坦な土地。多摩丘陵にそびえる多摩美(八王子キャンパス)は、斜面の上に校舎が建っているが、武蔵野台地の上にある武蔵美はキャンパスもほぼフラットである。
武蔵美は多摩美に比べてアカデミックな性格が強いとされ(これは「多摩と武蔵野」にも記した)、付属の美術館・図書館でも、大学の歴史や教育に紐づいた堅実な企画が行われている印象だ。一方で、芸術祭の神輿や学生プロレスのような治外法権的な文化も残っていて、アングラ、サブカルを好む傾向も強いのかもしれない。
民俗資料室には、9万点におよぶ民具や郷土玩具が収蔵されているが、これは日本を代表する民俗学者、宮本常一による収集活動が礎となっている。宮本は国分寺駅の少し南に居を構えていた。その住所は府中市だが、国分寺駅の文化圏といえるだろう。