神楽坂(かぐらざか/飯田橋 西口北側)
2020年に改修されたJR飯田橋駅西口。駅を出て右手にある登り坂が神楽坂のメインストリートだ。北西に向かって登った最初の交差点(大久保通りと交わる)、厳密にはここまでが坂としての「神楽坂」とのこと。町名としての「神楽坂」はもう少し先まで延びていて、さらにその先に東西線の「神楽坂駅」がある。その名前はブランド化し、神楽坂を名乗る店舗や建物はさらに広範囲におよんでいる。
かつて花街として栄えた神楽坂には、今でも坂に沿って飲食店が立ち並び、近年はスイーツや雑貨などの店も多く見られる。一本裏手に入った小路のあたりが風情もあってよろしいらしい。
早稲田大学と法政大学の間、グラフィックデザイン業界的に言えば、大日本印刷凸版印刷の間ということもあってか、印刷や出版関連企業も多い土地だ。
前述の神楽坂上の交差点を左に曲がったあたりに、かつてシアターイワトイワト劇場)という劇場があった。アングラ演劇の流れを汲む黒テントの本拠地で、グラフィックデザイナーの平野甲賀によって運営されていた。
平野は演劇のポスターや雑誌『宝島』のデザイン、晶文社の装丁などを手掛けており、商業広告とは距離を置いたサブカル的なデザインの草分けともいえるだろう。平野が好んだキチキチに詰められた文字は、業界全体へ大きなインパクトと影響を与えている。一方、おおらかでユーモラスな描き文字は、平野の晩年の代名詞となった。キツい文字詰めも、奔放な描き文字も、ハサミと版下によるカット&ペースト的な感覚に支えられている。平野の仕事といえば、こうした描き文字や装丁、演劇のポスターに注目が集まるが、実はチラシの裏面やチケットなどのいわゆるジェネラルグラフィックにも優れたデザインが多い。しかし、小品はあまりフィーチャーされず、作品集などにもまとまっていないのが惜しまれる。
シアターイワトの住所は岩戸町。地名自体が神楽にちなんだものであり、演劇にうってつけだ。なお、一帯の町名は箪笥町、袋町、細工町など目をひくものが多いが、かならずしも工芸や職人に由来するものではないらしい。
劇場は2012年に閉館。平野が小豆島へ拠点を移した後も、神楽坂通り商店会では平野がデザインしたロゴタイプを使い続けているようだ。
神楽坂上の交差点には細木数子も事務所を構えていた。登り坂はここからも(地獄へ下ることなく)まだまだ続いている。坂を登って地下鉄の神楽坂駅方面へ向かえば、赤城神社やla kagūなど隈研吾による建築物が並ぶ。ランドマークが一人の建築家によって手掛けられており、街にはある種の統一感が見出せるかもしれない。
この周辺には新潮社をはじめ、出版関連企業が点在している。校正、校閲、DTPを手掛ける聚珍社には、知らないうちにお世話になっているグラフィックデザイナーも多いはずだ。
新潮社の裏手には、古今亭志ん朝の旧宅などと並び、松永真が事務所を構えている。「アノニマス」と評されることが多い松永。しかし、氏のデザインには「ボールドだが、清潔で、あたたかく豊かな造形」という芯があり、匿名性と同時に強い作家性も感じさせる。松永のデザインはシンプルで明瞭なメッセージを突きつけてくるが、ベネッセやマネックスのロゴマークのように、割り切れないものまで飲み込んだ造形力は、類を見ないだろう。
事務所は直線的で骨太な建物だが、周囲の緑と違和感なく調和し、扉の前には人懐こいオブジェが並ぶ。まさに松永真そのものだ。
近くには杉田玄白生誕の地のような江戸からの営みを感じさせる史跡も残る。またここは鏑木清方の旧居跡でもある。伊藤深水ら弟子筋から装画(挿画)に連なる流れは、別の機会に触れることにする。
なお、某大物建築家の自邸もこのあたりだという……。
2022年3月31日公開。草間彌生美術館などについては「早稲田」で触れる予定
2022年7月28日 誤字などを修正