水道橋(すいどうばし)
JR水道橋駅を出ると足元には神田川が通っていて、水道橋の地名はこの神田上水(神田川)に由来する。駅から北東(御茶ノ水、本郷三丁目方面)へ少し歩くと、東京都水道歴史館があり、まさしく水道ゆかりの地と言ってよいのだろう。
駅東口の目の前にある都立工芸高校には、いわゆる工芸工業分野だけではなく、プロダクトやグラフィックデザインなどを教えるデザイン科も設置されている。卒業生には、倉俣史朗のようなインテリアデザイナー、南伸坊のようなイラストレーターがいる。グラフィックデザイナーにおいては、副田高行永井裕明だけでなく、職人肌な人物が多い印象だ。
かつてはデザイン科ではなく印刷科を置いていたため、印刷所の子弟が通うことが多かったようだ。長野県の印刷所の息子である原弘は、印刷科の一期生として、この学校(当時 東京府立工芸学校)を卒業している。卒業後は講師として後進の指導にもあたっていた。
原弘は絵画やデッサンの応用ではない、印刷技術を基礎としたチャキチャキのグラフィックデザイナーだが、こうした出自来歴が背骨にある。一方で、絵画へのコンプレックスから、写真と理性的なタイポグラフィに長じた、とも言えるだろう。欧米のタイポグラフィ理論を日本語へ適用することの難しさに直面し、日本語ならではのタイポグラフィの礎を築いた。代表作「日本タイポグラフィ展」のポスターは、日本語書体のエレメントを組み合わせ、日本語の持つ「いなたさ」を肯定しながら、主題を端的に表現する卓越したアイデアも兼ね備えている。
デザイナーとしての活動初期には左翼的な運動とも関わりを持っていたようだが、キャリアを重ねるなかで商業デザインでも力を発揮し、軍のプロパガンダ誌を手がけるに至る。この間、思想自体の変遷は読み取れず、純粋にグラフィックデザインの技術的発展に情熱が向けられているようにも見える。
このプロパガンダ誌『FRONT』を制作していた東方社は、水道橋からほど近い小石川に存在した(のちに九段下へ移転)。東方社には工芸高校での教え子、多川精一も参加している。
戦後は装丁デザインにも力を注いでおり、東京ADCではその功績を讃え、毎年優れたブックデザインに対して「原弘賞」を贈っている。その他、日本デザインセンター創立、武蔵野美術大学でのデザイン教育など、グラフィックデザインにもたらしたものは計り知れない。竹尾特殊東海製紙などとともに用紙の開発にも携わった。特殊東海製紙が原弘アーカイヴを有しているのもこの縁だろう。
原に関する資料を見ていると、硬質な原の作品とは対照的な資生堂の作品へ向けられた関心(嫉妬?)が、ところどころで見え隠れする。余談だが、大曲の原弘の家から徒歩5分ほどのところに中村誠が暮らしていたこともある。
水道橋駅の南側は学生街でもあり、白山通り沿いを神保町へかけて、天丼やカレーなどジャパニーズ・ファストフードの名店が並んでいる。毎年8月15日には靖国神社への接近を防がれた街宣車が、この通りにずらりと集結するため、タイポグラフィカルな車が並ぶ…と言えなくもない……。
駅のすぐ北側は、東京ドームを中心に遊園地、場外馬券売場、後楽園ホールなどを備えた都内屈指の娯楽施設になっている。
2022年10月15日にベータ版を発行。11月12日に当サイトにて公開した。