府中(ふちゅう)
府中市は東京都のほぼ中央に位置し、競馬場と刑務所と三億円事件の名ばかりが轟くベッドタウン。しかし、府中という名の通り、その昔は武蔵国(むさしのくに)の国府が置かれており、かつての行政の中心地でもあった。国府跡近くに今も残る大國魂神社は「おおくに“たま”じんじゃ」と読み、多摩の中央を暗示させる。
神社は府中崖線(立川崖線)の上に建っていて、境内の裏手からは多摩川や多摩丘陵まで一望できただろう。現在は左に府中競馬場、右にサントリーのビール工場、正面に中央自動車道が見える。つまり、八王子出身の荒井由実(松任谷由実)が『中央フリーウェイ』で歌ったのはこの辺りの様子だ。「バブル前夜、ローカルな風景をモチーフにした中産階級の夢」のような歌だが、時代を超えた普遍性を備えており今でも耳にする機会は多い。この曲はシングルカットされておらず、収録アルバムは76年11月発売。荒井が多摩美術大学を卒業してまだ間も無い。『中央フリーウェイ』はアルバムの発売に先駆けテレビで披露されたようで、細野晴臣らをバックバンドに従えて歌うさまは貫禄すら感じさせるが、この時点ではまだ大学在学中のはずだ。早熟でありながら今も続く長命な才能がおそろしい。余談だが、三池崇史監督作『新・仁義の墓場』で、岸谷五朗が立て篭もりベランダから銃を乱射したアパートは、中央高速に沿ってサントリーのやや西にある。
大國魂神社から西へ、古刹の善明寺、高安寺の脇を抜けると分倍河原へ出ることができる。このルートは映画『ちはやふる』にも登場するが、車の通れないローカルな裏道だ。
この区域がモデルとなっているのは、マンガ『20世紀少年』も同様。冒頭に登場する「第四中学校」は、府中四中のことである。作者の浦沢直樹はこの学校の卒業生で、1学年上には小室哲哉がいる。学校でT・レックスの『20th Century Boy』を流すものの、だれも聴いてなかった……というシーンから本作は始まるが、これは浦沢自身が仕掛けた実体験に基づく。しかし、実際は小室の友人がしっかりと聴いていて、その日小室と話題にしたそうだ。40年近く経ち、『20世紀少年』や浦沢との会話によって小室はその記憶を掘り起こされる。一連のエピソードはテレビなどでも披露され大きな反響を呼んだ。なお、小室の在籍した「TMネットワーク」の「TM」は「多摩」に由来する。
府中市の北部では、東芝府中工場と府中刑務所が向かい合っていて、三億円事件の現場でもある。戦後を代表する未解決事件で、被疑者の数も膨大だ。当時多摩地区で暮らしていた人なら、知人にひとりやふたりの被疑者がいるかもしれない。
府中街道沿いにある刑務所の広大な壁にはかつて壁画が描かれていたが、今では無地に塗り直されている。日本はポスターが盛んで、障壁画や緞帳には伝統があるものの、なぜか壁画は育たず、このようにミニマルに塗りかえられていくらしい。
北東部には広大な敷地の多磨霊園がある。芸術家だけでも数多く埋葬されていて、まさに枚挙にいとまがない。話の流れで代表例を挙げるなら、漫画家の岡本一平、その妻で小説家の岡本かの子、そしてふたりの息子の岡本太郎だろう。太郎はメキシコの壁画運動と接触し、壁画でも傑作を残した数少ない日本人だ。その傑作『明日の神話』は渋谷駅に設置されていて、誰でも日常的に目にすることができる。この広い霊園で最も見応えのある一平の墓と太郎の墓も、彼の手による彫刻作品かつパブリックアートだ。岡本太郎をデザイナーと呼ぶことはできないだろうが、日本デザインコミッティー(当時の国際デザインコミッティー)の創立メンバーであり、少なくないデザインワークを残している。他にも多くのデザイン関係者が人知れず眠っているはずだ。