大曲(おおまがり/飯田橋 東口北側)
JR飯田橋の東口を出ると、江戸城の外堀(外壕)と神田川が合流する。神田川の上には高速道路が走っているうえ、大きな五叉路になっていて動線が複雑に絡み合う。
神田川と高速道路は北上した先で西へ大きく曲がる(正確に言えば、川は西から流れてきて南へ、つまり飯田橋駅方面へ向かってカーブする)。ここは「大曲(おおまがり)」と呼ばれ、その大曲にそびえるのが凸版印刷だ。市ケ谷の大日本印刷と双璧をなす超巨大印刷会社で、ひときわ目立つ本社ビルはこの一帯のランドマークとも言える。この本社ビルには印刷博物館も併設され、印刷の歴史や技術を通覧できる。周辺にはモリサワ東京本社のほか、欧文活版印刷で知られる嘉瑞工房、双葉社などの出版社、出版取次のトーハン、またさまざまな印刷製本関連企業も多い。
この地域と印刷製本との関わりは古く、講談社のある音羽方面にかけて、神田川の水を利用した紙漉きが江戸時代から盛んであったようだ。また、重い紙を運搬するための水路としても神田川が用いられたのだろう。
2021年、凸版印刷はさかんに「もはや印刷だけの会社ではない」といった主旨のCMを打っていた。一方、飯田橋では今でも「写植」や「青焼き」などの看板も目にし(実際にはDTPへ転身したところも多いだろうが)、街には印刷文化のにおいが根強く残る。
神田川のこのあたりは、かつて「江戸川」と呼ばれていて「江戸川橋」もその名残。大曲には同潤会の江戸川アパートメントがあり、『ゴルゴ13』のさいとう・たかをや、グラフィックデザイナーの原弘らが暮らしていたようだ。原弘の代表作ともいえる第二次大戦中のプロパガンダ誌『FRONT』は、凸版印刷の裏手の坂を登ったところにある東方社で制作発行されていた(のちに九段下へ移転)。
そんな大曲界隈に、近年デザイン会社のドラフトが越してきた。広告からブランディングまでを手掛けるとともに、プロダクトブランドのD-BROSを運営する業界屈指のプロダクションだ。一見可憐で愛らしいD-BROSにも代表宮田の信念が反映されていて、芯の強さと軽やかさを兼ね備えたデザインを生み出し続けている。
ドラフトのウェブサイトには「神楽坂」と記載されているが、いわゆる神楽坂からは離れており、いわばここは「限界神楽坂」だ。「飯田橋東口! 大曲そば! いなげや裏!」と言った方が分かりやすいが、そうもいかないのだろう。こうしたブランディングによって「神楽坂」は日々拡大している。
凸版印刷の一帯はかつて「水道端」とも呼ばれ、大手美術予備校「すいどーばた美術学院」の由来でもある(現在は池袋に移転)。
大曲から神田川に沿って西へまっすぐ進むと、早稲田、そして高田馬場へ到達する。かたや、大曲から東へ進むと後楽園や本郷に向かう。北東へ安藤坂を上れば小石川となるが、これらについては項をあらためる。